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気違いの寝言です [いつも寝言]
今日は1月最後の日。快晴なれど、目の状態最低。歯の状態最低。頭と心に蠢きあり。つまり啓蟄の予感。
ただし、常識人から見れば薄気味悪いだけ。じゃあ、ここで言うことねーじゃねーかと言われそう。ここはきわめて個人的なサイトであって、余計な批判は受け付けないことになっている。いい気なもんだ、ぎゃはは^^。それにここより薄気味悪いサイトは5万とあるんで、私もあまり近づかない。ここで反吐を催しそうなら、来なきゃいいだけ。
午後は歯医者の予約がある。丁度同じ方向だから、ついでに足伸ばして、千葉銀まで行って例の1万9百円だしてくる。在る事を知らなかった物が在ったというのはうれしいもんだ。1万9百円あれば1月暮らせるもんね。つまりもう1月余計に日本にいられる。
昨日の魔女と話をしていて、本当は日本に居たいのだと言ったら、ないはずのものが一月余計に「与えられた」のなら、一月余計にいればいいじゃないかと言う。人間の意思なんかこの際どうでもいいのだと。
実は、彼女が何を言っているのかよくわかる。つまり、カッコ内の動詞の主体の事を彼女が言っている。それはそうなのだ。
このブログを偶に覗いている別の同窓の友人が私を批評して言っていた言葉を思い出した。その友人、成績優秀で、頭脳明晰で、実際的で親切だけど、たぶん自分が生きたいように生きている人間かのしれない。他人の事だから断定は避ける。彼女には、私の「変なの」ただのバカに見えるだろうな。言わないけれど、こっそり内心バカだと思っているのをよく知っている。
で、言った言葉は、お前はどんなへんてこな出来事でも、啓示みたいに思っちゃいやすい人間で、そこが失敗の原因なんかじゃないかと。それはそうにちがいない。自分を主体に生きている人間は、絶対に賭けをしない。だから確実に歩を固めて生きて死ねる。私にだって、「普通の、常識的な」理解力もあるから、そういう意見もよくわかる。
ところで、私は「啓示」と言う言葉を避けている。「啓示」と言う言葉は、なんだか私が特別に選ばれた人間と言っているのと同じだからね。
私が言っているのは、すべての生き物は、生じせしめられ、生かされ、動かされ、動いているのであって、それを日々、本気で「日々、一瞬一瞬」自覚しているかしていないかの違いだけだという事なんだけど、自分が自分の意思ですべてを動かしているのだと思っている人には、通じないのさ。
私は身の回りに起きた出来事の「意味」を考えているだけで、啓示を受けて行動しているなどと傲慢な選民意識を持っているのではない。
あの詐欺事件で、物も食わず、眠りもせず、家の中を夜も昼もただひたすらにうろうろ歩いていたその頃、20年くらいあっていない一人の知り合い(友人でも家族でもない)が、いきなりやってきて、帯封をした100万円をぽんと置いていき、「これ使いなよ。返さなくていいよ」と言って帰って行った。その事実をあなたは、其の人だけの善意、(よく言われるような)私の日ごろの行いだけに由来すると思うか?あなたが思っても良い。しかしこの「私」がそう思うと言ったら、地獄に蹴落とされるよ。
ネットの中のあったこともないチャット仲間が、カンパをしてくれた、それは彼らの「善意」であることは十分理解しているが、それが個人の意思と善意だけで理解できるのか?私の苦境をよく知っている出身家族が全く動かなかったときに、知らない人が私を助けた。その「意味」を私は理解できる。誰かが良くて誰かが悪いのではない。そこに「意味」があると言っているだけ。
(ところで、イエスさまと呼ばれるあの方だって、家族は全く彼の行動を理解しなかった。理解しないどころか、気違いになったと思って取り押さえに来た。「家族」とは、人間が赤ん坊の頃おしりを洗い、出した鼻水の世話をしたことに気を奪われて、成長した鼻たれ小僧の事を全く理解できない種族なのだ。あいつは大工の息子にすぎないじゃないか、子供のころ鼻たれ小僧だったじゃないか、と言うことしか思い浮かばないから。)
私がかつて所属していた松戸教会は、私が交通費の660円を節約するためにやめた教会だったけど、ガレージセールのチラシをまく許可を受けるために、神父さんに事情を話した。日ごろ信者からたいして尊敬も受けていない神父さんで、私だって別に仲良くしていた相手ではなかった。しかし私がミサにも出ずに帰った後、かれが率先して信者に呼び掛け、20分の間に13万の浄財を私のために集めてしまった。
松戸教会に関しては、このブログの中だって、私は年がら年じゅう批判ばかりしていた教会である。そういう私をいやな奴だと思う信者は五万といただろう。
その出来事を私は「ありえること」として見過ごすわけにいかなかった。「有り難いこと」は「在りがたいこと」なのだ。
誰も「啓示」だなどと言っていない。主体は私でもなく、詐欺集団でもなく、私を助けた人々でもない。しかし、「私」と「詐欺集団」と、「助けた人々」は、確かに確実に、人間的な「意思」不在のまま、出会わされたのだ。だから、あえて「啓示」といわずとも、「意味」なら、「私」の存在にも、「詐欺集団」の到来にも、「私を生かすために助けた人々」にも、あるだろう。だから、私は自分の本心かどうか自らの深層心理はわからないけれど、「詐欺の背中に主の平和!」と唱えているのだ。
その話を昨日の魔女にしたら、おう!と言って納得してくれた。これほど素直に、もろ手を挙げて、私の呪文を納得したひとは彼女をおいてほかにないだろう。
私の「感謝の相手」が、人間ではない事を、頭がいいと理解に苦しむらしい。なぜなら、自分の「頭」を信仰しているから。私の「頭」よくたって悪くたって、この際、無関係だ。
私は昔餓鬼の頃から、助けが欲しい時にふと現れて助けてくれては消えて行った人々の事を「羽なし天使」と表現していた。私は人間として「羽なし天使たち」を狂おしく慕ったが、私とのかかわりのない時の彼らがただの人間で、私と同じようにあほだという事を知り、自分も無意識のうちに誰かの「羽なし天使」になっているらしい事を知ってから、私は自分が感謝すべき相手がわかってきた。そのことは、頭がいいと自覚している人には、わからない。
ところで昨日会った「魔女」は、自分は何もしていない、ただの「どかん」だと言った。「どかん」と言う表現はまたひどすぎるので、私は「受話器」と通訳しておいたのだけど、言いたいことはよくわかった。そして、彼女は自分が本当に見たり聞いたりして起こした行動の源泉を他人に言うと、他人はこぞって、彼女を気違い扱いにするという。
ははは!と私は笑った。言わなきゃいいじゃないの、と言ったら、聞かれるから言っているだけだと言っていた。
まあね。言わないと、彼女が偶像に祭り上げられちゃう、金をくれたり教団を作ったり、取りまきが儲けたり、とんでもない社会現象が起きちまうことを避けるためには、気違い扱い覚悟して言わなきゃならないかもしれない。
その「とんでもない社会現象」、あっちにもこっちにもあるね^^。
ただし、常識人から見れば薄気味悪いだけ。じゃあ、ここで言うことねーじゃねーかと言われそう。ここはきわめて個人的なサイトであって、余計な批判は受け付けないことになっている。いい気なもんだ、ぎゃはは^^。それにここより薄気味悪いサイトは5万とあるんで、私もあまり近づかない。ここで反吐を催しそうなら、来なきゃいいだけ。
午後は歯医者の予約がある。丁度同じ方向だから、ついでに足伸ばして、千葉銀まで行って例の1万9百円だしてくる。在る事を知らなかった物が在ったというのはうれしいもんだ。1万9百円あれば1月暮らせるもんね。つまりもう1月余計に日本にいられる。
昨日の魔女と話をしていて、本当は日本に居たいのだと言ったら、ないはずのものが一月余計に「与えられた」のなら、一月余計にいればいいじゃないかと言う。人間の意思なんかこの際どうでもいいのだと。
実は、彼女が何を言っているのかよくわかる。つまり、カッコ内の動詞の主体の事を彼女が言っている。それはそうなのだ。
このブログを偶に覗いている別の同窓の友人が私を批評して言っていた言葉を思い出した。その友人、成績優秀で、頭脳明晰で、実際的で親切だけど、たぶん自分が生きたいように生きている人間かのしれない。他人の事だから断定は避ける。彼女には、私の「変なの」ただのバカに見えるだろうな。言わないけれど、こっそり内心バカだと思っているのをよく知っている。
で、言った言葉は、お前はどんなへんてこな出来事でも、啓示みたいに思っちゃいやすい人間で、そこが失敗の原因なんかじゃないかと。それはそうにちがいない。自分を主体に生きている人間は、絶対に賭けをしない。だから確実に歩を固めて生きて死ねる。私にだって、「普通の、常識的な」理解力もあるから、そういう意見もよくわかる。
ところで、私は「啓示」と言う言葉を避けている。「啓示」と言う言葉は、なんだか私が特別に選ばれた人間と言っているのと同じだからね。
私が言っているのは、すべての生き物は、生じせしめられ、生かされ、動かされ、動いているのであって、それを日々、本気で「日々、一瞬一瞬」自覚しているかしていないかの違いだけだという事なんだけど、自分が自分の意思ですべてを動かしているのだと思っている人には、通じないのさ。
私は身の回りに起きた出来事の「意味」を考えているだけで、啓示を受けて行動しているなどと傲慢な選民意識を持っているのではない。
あの詐欺事件で、物も食わず、眠りもせず、家の中を夜も昼もただひたすらにうろうろ歩いていたその頃、20年くらいあっていない一人の知り合い(友人でも家族でもない)が、いきなりやってきて、帯封をした100万円をぽんと置いていき、「これ使いなよ。返さなくていいよ」と言って帰って行った。その事実をあなたは、其の人だけの善意、(よく言われるような)私の日ごろの行いだけに由来すると思うか?あなたが思っても良い。しかしこの「私」がそう思うと言ったら、地獄に蹴落とされるよ。
ネットの中のあったこともないチャット仲間が、カンパをしてくれた、それは彼らの「善意」であることは十分理解しているが、それが個人の意思と善意だけで理解できるのか?私の苦境をよく知っている出身家族が全く動かなかったときに、知らない人が私を助けた。その「意味」を私は理解できる。誰かが良くて誰かが悪いのではない。そこに「意味」があると言っているだけ。
(ところで、イエスさまと呼ばれるあの方だって、家族は全く彼の行動を理解しなかった。理解しないどころか、気違いになったと思って取り押さえに来た。「家族」とは、人間が赤ん坊の頃おしりを洗い、出した鼻水の世話をしたことに気を奪われて、成長した鼻たれ小僧の事を全く理解できない種族なのだ。あいつは大工の息子にすぎないじゃないか、子供のころ鼻たれ小僧だったじゃないか、と言うことしか思い浮かばないから。)
私がかつて所属していた松戸教会は、私が交通費の660円を節約するためにやめた教会だったけど、ガレージセールのチラシをまく許可を受けるために、神父さんに事情を話した。日ごろ信者からたいして尊敬も受けていない神父さんで、私だって別に仲良くしていた相手ではなかった。しかし私がミサにも出ずに帰った後、かれが率先して信者に呼び掛け、20分の間に13万の浄財を私のために集めてしまった。
松戸教会に関しては、このブログの中だって、私は年がら年じゅう批判ばかりしていた教会である。そういう私をいやな奴だと思う信者は五万といただろう。
その出来事を私は「ありえること」として見過ごすわけにいかなかった。「有り難いこと」は「在りがたいこと」なのだ。
誰も「啓示」だなどと言っていない。主体は私でもなく、詐欺集団でもなく、私を助けた人々でもない。しかし、「私」と「詐欺集団」と、「助けた人々」は、確かに確実に、人間的な「意思」不在のまま、出会わされたのだ。だから、あえて「啓示」といわずとも、「意味」なら、「私」の存在にも、「詐欺集団」の到来にも、「私を生かすために助けた人々」にも、あるだろう。だから、私は自分の本心かどうか自らの深層心理はわからないけれど、「詐欺の背中に主の平和!」と唱えているのだ。
その話を昨日の魔女にしたら、おう!と言って納得してくれた。これほど素直に、もろ手を挙げて、私の呪文を納得したひとは彼女をおいてほかにないだろう。
私の「感謝の相手」が、人間ではない事を、頭がいいと理解に苦しむらしい。なぜなら、自分の「頭」を信仰しているから。私の「頭」よくたって悪くたって、この際、無関係だ。
私は昔餓鬼の頃から、助けが欲しい時にふと現れて助けてくれては消えて行った人々の事を「羽なし天使」と表現していた。私は人間として「羽なし天使たち」を狂おしく慕ったが、私とのかかわりのない時の彼らがただの人間で、私と同じようにあほだという事を知り、自分も無意識のうちに誰かの「羽なし天使」になっているらしい事を知ってから、私は自分が感謝すべき相手がわかってきた。そのことは、頭がいいと自覚している人には、わからない。
ところで昨日会った「魔女」は、自分は何もしていない、ただの「どかん」だと言った。「どかん」と言う表現はまたひどすぎるので、私は「受話器」と通訳しておいたのだけど、言いたいことはよくわかった。そして、彼女は自分が本当に見たり聞いたりして起こした行動の源泉を他人に言うと、他人はこぞって、彼女を気違い扱いにするという。
ははは!と私は笑った。言わなきゃいいじゃないの、と言ったら、聞かれるから言っているだけだと言っていた。
まあね。言わないと、彼女が偶像に祭り上げられちゃう、金をくれたり教団を作ったり、取りまきが儲けたり、とんでもない社会現象が起きちまうことを避けるためには、気違い扱い覚悟して言わなきゃならないかもしれない。
その「とんでもない社会現象」、あっちにもこっちにもあるね^^。
で・・・ [いつも寝言]
昨日、久しぶりに枇杷の葉っぱを煎じ始めた。友人のご母堂が喘息だと言うので、その気になった。でも去年枇杷の木の枝を大量に剪定したから、お茶に適した古い葉っぱがたくさんない。庭に置いた鉢に4,5本生えている枇杷の苗があって、それは長いこと手をつけていないから、ごわごわした葉をつけているのを知っていたので、雪の中を取りに行った。
1鍋分にはちょうどいいくらいの枚数で、昨日から煎じ始めた。紅茶くらいの色になるまで、煎じないと効用がないので、2日かけた。色よくできたから、味を見たのだけど、あまりおいしいお茶ではない。体によくたっておいしくないと、飲めないだろう、と思って、暮に友人がくれた「けんこう7福茶」と言うのを少し入れた。このお茶は、いろいろの種類の薬草が入っている。で、なかなかおいしい。それを入れて試しに飲んだら、おいしかった。
私もひところ、咳に悩んだ。枇杷の葉茶で救われたので、事あるごとに勧めているのだけど、あまり信用してくれない。どれほどよく聞くと言われるものだって、信用が肝心だ。
娘がいた時、娘の望みで、気功をやっている友人を訪ねた。その友人が気功だろうが手かざしだろうがヨガだろうが、信用がない相手の思う様にはならないと言っていた。実は私の大学時代の友人で、もとカトリック信者だった人々が、知っている限り4人も教会を離れて、気功だの、占星術だの、手かざしだの、聖霊信仰集団だのに身を投じている。そしてそれぞれの場で、人助けをしているそうだ。気功の友人は、実は60台になってから、庭師になり、高い木の上から墜落して骨盤と足を複雑骨折をし、医者からはもう一生車いすだと言われたのだけれど、同級生の聖霊集団に身を投じた人が治してしまった。彼女、二本足で歩いている。
私は、別に教会を離れて彼女たちが何をやろうと、善意である限り友人であることをやめる気はないし、むしろ愉快でたまらない。聖心魔女軍団とあだ名をつけて、面白がって見ている。
たぶん彼女たちがやっていることは、自分の力を超える「名のない存在」に無心で信頼しているからできることなんだろう。神と言おうが、アラーと言おうがヤーヴェと言おうが、仏と言おうが、そんなものは記号にすぎない。
バカな経験のおかげで、なんだか、そういう「自分を超える名のない存在」が、わずかに「見える」ようになった。私は、まだ、何をするべきか、わからない。でも、魔女軍団は私に何かを伝えているようにも感じる。
1鍋分にはちょうどいいくらいの枚数で、昨日から煎じ始めた。紅茶くらいの色になるまで、煎じないと効用がないので、2日かけた。色よくできたから、味を見たのだけど、あまりおいしいお茶ではない。体によくたっておいしくないと、飲めないだろう、と思って、暮に友人がくれた「けんこう7福茶」と言うのを少し入れた。このお茶は、いろいろの種類の薬草が入っている。で、なかなかおいしい。それを入れて試しに飲んだら、おいしかった。
私もひところ、咳に悩んだ。枇杷の葉茶で救われたので、事あるごとに勧めているのだけど、あまり信用してくれない。どれほどよく聞くと言われるものだって、信用が肝心だ。
娘がいた時、娘の望みで、気功をやっている友人を訪ねた。その友人が気功だろうが手かざしだろうがヨガだろうが、信用がない相手の思う様にはならないと言っていた。実は私の大学時代の友人で、もとカトリック信者だった人々が、知っている限り4人も教会を離れて、気功だの、占星術だの、手かざしだの、聖霊信仰集団だのに身を投じている。そしてそれぞれの場で、人助けをしているそうだ。気功の友人は、実は60台になってから、庭師になり、高い木の上から墜落して骨盤と足を複雑骨折をし、医者からはもう一生車いすだと言われたのだけれど、同級生の聖霊集団に身を投じた人が治してしまった。彼女、二本足で歩いている。
私は、別に教会を離れて彼女たちが何をやろうと、善意である限り友人であることをやめる気はないし、むしろ愉快でたまらない。聖心魔女軍団とあだ名をつけて、面白がって見ている。
たぶん彼女たちがやっていることは、自分の力を超える「名のない存在」に無心で信頼しているからできることなんだろう。神と言おうが、アラーと言おうがヤーヴェと言おうが、仏と言おうが、そんなものは記号にすぎない。
バカな経験のおかげで、なんだか、そういう「自分を超える名のない存在」が、わずかに「見える」ようになった。私は、まだ、何をするべきか、わからない。でも、魔女軍団は私に何かを伝えているようにも感じる。
雪めが! [いつも寝言]
今日は最悪。この日陰の家に雪が積もった。玄関も、通りの道も凍結した雪だらけ。外に出たくても除雪する力もない。何をするべきか、一生懸命考えた。
風呂の水が使えるかな。と、ふと、思った。入るための風呂でなく、雪を溶かすための風呂いっぱいのお湯なら役に立つだろう。そう思って、風呂に火をつけた。
今日は午後、歯医者の予約がある。家の外は出てすぐに急斜面で、自転車どころか、徒歩でも無理。其の自転車も雪をかぶっている。ここは日陰だから、ちょっとやそっとでは雪が溶けない。昔はレーキですぐに雪かきしたが腰痛持ちの婆さんがそんなことをしたら、また救急車だ。
猿知恵振り絞って、風呂の水で雪を溶かす作戦に出た。だからといって、日陰になっている坂の雪を全部溶かすほど、湯を運べないだろう。また歯を食いしばる原因ができた。獅子舞装着して、さて出動。
凍結や 道も心も 経済も
手も足も 出すに出せない 独居婆
うらめしき なにが風流 雪景色
風呂の水が使えるかな。と、ふと、思った。入るための風呂でなく、雪を溶かすための風呂いっぱいのお湯なら役に立つだろう。そう思って、風呂に火をつけた。
今日は午後、歯医者の予約がある。家の外は出てすぐに急斜面で、自転車どころか、徒歩でも無理。其の自転車も雪をかぶっている。ここは日陰だから、ちょっとやそっとでは雪が溶けない。昔はレーキですぐに雪かきしたが腰痛持ちの婆さんがそんなことをしたら、また救急車だ。
猿知恵振り絞って、風呂の水で雪を溶かす作戦に出た。だからといって、日陰になっている坂の雪を全部溶かすほど、湯を運べないだろう。また歯を食いしばる原因ができた。獅子舞装着して、さて出動。
凍結や 道も心も 経済も
手も足も 出すに出せない 独居婆
うらめしき なにが風流 雪景色
神経と歯に関する考察 [いつも寝言]
昨夜、久しぶりに9時前に寝たせいか、4時に目が覚め、5時に起床。1晩で元に戻るのかな^^。ただし、天候が悪いと、気がめいるのも、戻った。これだけは、家の中に人間がいて、いろいろ忙しいと、「気がつかずに」過ごしてしまうものだ。
ところで「歯を食いしばる癖」は、どうも寝る時ではないらしい事に気がついた。緊張すると、そうなるらしい。悪路を自転車に乗っていて気がついた。どうすべきか選択をせまられて、考えていて気がついた。我慢をしていて気がついた。その時の歯のくいしばり方が尋常ではないことに、初めてやっと気がついた。
小さい時から歯を食いしばって生きてきた。小さいときに、自分を神経の崩壊から守ったあの癖が、老人になったら、致命傷になるらしい。それで私は、就寝時にはめるように言われた獅子舞の歯を普段装着することにした。そうしたら、歯を食いしばろうとする一瞬がよくわかるようになった。これはもしかしたら、案外良い発見かもしれない。
ところで「歯を食いしばる癖」は、どうも寝る時ではないらしい事に気がついた。緊張すると、そうなるらしい。悪路を自転車に乗っていて気がついた。どうすべきか選択をせまられて、考えていて気がついた。我慢をしていて気がついた。その時の歯のくいしばり方が尋常ではないことに、初めてやっと気がついた。
小さい時から歯を食いしばって生きてきた。小さいときに、自分を神経の崩壊から守ったあの癖が、老人になったら、致命傷になるらしい。それで私は、就寝時にはめるように言われた獅子舞の歯を普段装着することにした。そうしたら、歯を食いしばろうとする一瞬がよくわかるようになった。これはもしかしたら、案外良い発見かもしれない。
獅子舞 [いつも寝言]
今日は、また歯医者に行った。予約が2時半なのに、2時について、すぐに順番が回ってきた。先日歯型を取って用意してくれた、歯のくいしばり対策用の透明の「歯かぶせ」ができた。正式の名称は、知らない。それを歯に合わせるため、なんだか薬を塗って、がちがちかみ合わせた。その時の薬の臭いが、どうもシンナー臭かったので、へど吐きそうになった。それ、ずっとその匂いが続くのかと聞いたら、その心配はないと答えた。
デ、それを上の歯にかぶせて、鏡を見たら、獅子舞になったみたいな気分がした。
帰りの自転車をこぎながら思った。面白いから、ついでに、獅子舞の踊り習おうかな。誰か冗談に、獅子舞の面とあの唐草模様のかぶり物、くれないかな。私の誕生日は4月23日^^。ひひひ
デ、それを上の歯にかぶせて、鏡を見たら、獅子舞になったみたいな気分がした。
帰りの自転車をこぎながら思った。面白いから、ついでに、獅子舞の踊り習おうかな。誰か冗談に、獅子舞の面とあの唐草模様のかぶり物、くれないかな。私の誕生日は4月23日^^。ひひひ
またいろいろ考える [いつも寝言]
娘が一昨日友人のところに行って、泊まってきたから、昨日帰った。今日はまた友人が招待してくれたとかで、どこかにスキーに行った。冬服がほとんどないので、私のを貸そうとしたら、ファッション上婆向きのものは着られないとかいって、夏服同然の姿で、スキー場に行った。いくら友人がスキー用品すべて用意するからと言って、零下何度じゃないと、雪って降らないのにあんな姿で、良いんだろうか。8歳の息子を死にそうな婆に残して行くなよ、という声を振り切って、朝方出て行った。
昨日は、英語初日。私は凄く正式な英語をモノするざあます英語を習ったから、どうも正式なざあます言葉が出てしまう。ちょっとまずいなあと思って、現代口語の研究を始めた。日本語だって私は生まれ育った家庭の言葉を180度転換して話しているのだから、英語だけ顔にもにない言葉遣いをすることない。生きている限り開拓精神で。
ところで、100万円を借りて、未だ50万円しか返していない友人が電話してきた。借金の返済気にしなくていい、と言う。ぎょぎょ。残りの50万は、手つかずのまま銀行にあるから返せない状態ではないけれど大事を考えて、エルサルバドル出発直前に返そうと思ってその旨連絡しておいたんだけど、逆に気になったらしい。
そんな、気にするなと言われたって、気にするに決まっている。踏み倒す気はないし、あちらに行けば、年金が手つかずになるから、大事を気にせず返すつもりだった。
それに今、天から降った収入を得たばかりだ。あれ以来、浄財によって生きてきた。昨日初めて、自分の力で、収入を得た。それでも私はその収入が、「天から降った」ように見える。+のものはすべて「天から」と考える癖があれ以来ついた。そしてその「癖」もとんでもなくプラスの考え方から来る「癖」だから、私はあの詐欺さえ、「天から降ってきた」ものではないかと思い始めている。まあ、それは自分に降りかかるすべての出来事に対する「意味」の取り方であって、詐欺を肯定しているわけではない。
あの詐欺は私と出会った。詐欺にとって、その事実に意味があるかないかの判断は、私の出る幕ではない。でも私は自分勝手な祈りと称する行動のなかに、思い浮かべることがある。
昨日は、英語初日。私は凄く正式な英語をモノするざあます英語を習ったから、どうも正式なざあます言葉が出てしまう。ちょっとまずいなあと思って、現代口語の研究を始めた。日本語だって私は生まれ育った家庭の言葉を180度転換して話しているのだから、英語だけ顔にもにない言葉遣いをすることない。生きている限り開拓精神で。
ところで、100万円を借りて、未だ50万円しか返していない友人が電話してきた。借金の返済気にしなくていい、と言う。ぎょぎょ。残りの50万は、手つかずのまま銀行にあるから返せない状態ではないけれど大事を考えて、エルサルバドル出発直前に返そうと思ってその旨連絡しておいたんだけど、逆に気になったらしい。
そんな、気にするなと言われたって、気にするに決まっている。踏み倒す気はないし、あちらに行けば、年金が手つかずになるから、大事を気にせず返すつもりだった。
それに今、天から降った収入を得たばかりだ。あれ以来、浄財によって生きてきた。昨日初めて、自分の力で、収入を得た。それでも私はその収入が、「天から降った」ように見える。+のものはすべて「天から」と考える癖があれ以来ついた。そしてその「癖」もとんでもなくプラスの考え方から来る「癖」だから、私はあの詐欺さえ、「天から降ってきた」ものではないかと思い始めている。まあ、それは自分に降りかかるすべての出来事に対する「意味」の取り方であって、詐欺を肯定しているわけではない。
あの詐欺は私と出会った。詐欺にとって、その事実に意味があるかないかの判断は、私の出る幕ではない。でも私は自分勝手な祈りと称する行動のなかに、思い浮かべることがある。
パンク [日記]
今日は本当は馬橋の整形外科に行く日で、40分前に家を出た。ところが、東洋学園大学の曲がり角を曲がった途端に、ボン!と言う破裂音がして、三輪車の後ろのタイヤがパンクしてしまった。その破裂音がかなり凄かったので、気の弱い私はおびえてしまい、三輪車を眺めてしばらく突っ立っていた。
しかし我に帰って、携帯を取り出し、娘に、代わりの自転車を持ってくるように頼んで待っていたのだけど、待てど暮らせど娘は来ない。時計を見たら、もう、当たり前の自転車では間にあわない時間だという事に気がついた。タクシーなんか使いたくない。
私はパンクした三輪車を引きずって家に向かって戻り始めた。やっと娘が遠くに見えたけど、其の時は私はもう行かないことに決めていた。娘がのってきたのは、白鷺号で、かなりながい事のらなかったし、三輪アシストで娘と一緒に走っても、かなりの時間のずれがあるから、乗り慣れていない私がいくら走っても、間にあわないし、診察に行くのに、疾走なんかできない。
それで一緒に帰ることになった。重いから、パンクしたアシストは娘に任せて、私は白鷺に乗ったのだけど、よたよたして、とても進まない。引きずって家にたどり着いてから、病院に電話して、木曜日に代えてもらうことにした。
それから自転車屋を呼んで、修理を頼み、午後に、歯医者に行くことにした。歯医者は、もと住んでいた小金原以来お付き合いしているので、やっぱり足はそっちに向いた。
ところで、私のぐらぐらする歯、歯を食いしばって暮らしているせいだという。よほど物凄く歯を食いしばっていますね、と呆れた顔で、長年付き合っている歯医者が言う。
そうか。それって、あのストレスのせいかな、と思って、聞いてみたら、話を聞いて、それはあり得るという。
去年まで、歯医者が感嘆するほど健全な歯だった。それが今はぐらぐらがくがくする。残念だ。塗り薬をくれたが、どういう薬か、私はよく知らない。これ以上進行を防ぐためには寝るときには、歯が上下でかみ合わないようにする器具が必要だそうだ。それで歯型を取った。
いろいろな結果が今頃出てくる。
でも、不運なことを忘れさせるようなこともある。英語、来てくれるらしい。どうせ変な私の変な教室だから、変なおまけをつけてみようと思って、5分だけ、スペイン語を教えることにした。昔の八百屋は、よくおまけをくれたからね。
関係ないか…
しかし我に帰って、携帯を取り出し、娘に、代わりの自転車を持ってくるように頼んで待っていたのだけど、待てど暮らせど娘は来ない。時計を見たら、もう、当たり前の自転車では間にあわない時間だという事に気がついた。タクシーなんか使いたくない。
私はパンクした三輪車を引きずって家に向かって戻り始めた。やっと娘が遠くに見えたけど、其の時は私はもう行かないことに決めていた。娘がのってきたのは、白鷺号で、かなりながい事のらなかったし、三輪アシストで娘と一緒に走っても、かなりの時間のずれがあるから、乗り慣れていない私がいくら走っても、間にあわないし、診察に行くのに、疾走なんかできない。
それで一緒に帰ることになった。重いから、パンクしたアシストは娘に任せて、私は白鷺に乗ったのだけど、よたよたして、とても進まない。引きずって家にたどり着いてから、病院に電話して、木曜日に代えてもらうことにした。
それから自転車屋を呼んで、修理を頼み、午後に、歯医者に行くことにした。歯医者は、もと住んでいた小金原以来お付き合いしているので、やっぱり足はそっちに向いた。
ところで、私のぐらぐらする歯、歯を食いしばって暮らしているせいだという。よほど物凄く歯を食いしばっていますね、と呆れた顔で、長年付き合っている歯医者が言う。
そうか。それって、あのストレスのせいかな、と思って、聞いてみたら、話を聞いて、それはあり得るという。
去年まで、歯医者が感嘆するほど健全な歯だった。それが今はぐらぐらがくがくする。残念だ。塗り薬をくれたが、どういう薬か、私はよく知らない。これ以上進行を防ぐためには寝るときには、歯が上下でかみ合わないようにする器具が必要だそうだ。それで歯型を取った。
いろいろな結果が今頃出てくる。
でも、不運なことを忘れさせるようなこともある。英語、来てくれるらしい。どうせ変な私の変な教室だから、変なおまけをつけてみようと思って、5分だけ、スペイン語を教えることにした。昔の八百屋は、よくおまけをくれたからね。
関係ないか…
ちょっくら猛烈に前進 [日記]
長いこと、英語を話していなかった。最後の中学生が去ったのは、もう3年前かな。土いじりには英語もスペイン語も必要なかったから、まさか、土を相手に英語もスペイン語も話さなかった。
生きて行くにはなんとかしなければならないという切実な状況になって、ちょっくら猛烈に英語の勉強をしてみた。そこに娘がいるから、何でも英語で話した。彼女、アメリカで学生をやったから、トンでもないスラングを大量に知っていて、私みたいに「正式すぎて通用しない」ほどていねいな言葉を知らないから都合がよかった。なにしろ、彼女のもと彼が、呆れかえるほど、私の「書いた文法力」は完全だったらしいが、スラング交じりの、意味のない会話は彼女の方が断然得意だ。
彼女と一緒にそれをミックスした。私は絵画でも土木でも肥やしの製産でも、始めたら猛烈にアタックする人間なので、かなり戻り始めた。でもやっぱり、私にしかできないことをしようと思う。そうじゃなきゃ、私にあう「変なの」来ないからね。
今日「変なの」第1号、来る。からめ捕れるか、新年大相撲とともに勝負。すべての出来事を+に生かす。それが私の今年の課題。
生きて行くにはなんとかしなければならないという切実な状況になって、ちょっくら猛烈に英語の勉強をしてみた。そこに娘がいるから、何でも英語で話した。彼女、アメリカで学生をやったから、トンでもないスラングを大量に知っていて、私みたいに「正式すぎて通用しない」ほどていねいな言葉を知らないから都合がよかった。なにしろ、彼女のもと彼が、呆れかえるほど、私の「書いた文法力」は完全だったらしいが、スラング交じりの、意味のない会話は彼女の方が断然得意だ。
彼女と一緒にそれをミックスした。私は絵画でも土木でも肥やしの製産でも、始めたら猛烈にアタックする人間なので、かなり戻り始めた。でもやっぱり、私にしかできないことをしようと思う。そうじゃなきゃ、私にあう「変なの」来ないからね。
今日「変なの」第1号、来る。からめ捕れるか、新年大相撲とともに勝負。すべての出来事を+に生かす。それが私の今年の課題。
いろいろ考える [日記]
年賀状を数枚書いた。どうせ郵便局は今日まで開かないからと、たかをくくっていたら、手書きの年賀状って、時間がかかる。其の数枚をとりあえず投函しようと思って、郵便局に行った。
ところが、頭がどうかしていると見えて、行き慣れた道なのに、間違えた。はて、何処に行くんだったっけ…などと考えて、やっと脳の方向感覚を整え、郵便局についたけど、ついでに記入しようと思っていた通帳を忘れた。引き落とし口座を郵貯に集め、取引銀行を一つにしてしまったので、どうなっているのか、把握したかったんだけど。
松戸市の出初式、検索によると7日だそうだ。昔住んでいた町の近く。行ってみようと思う。
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娘の話によると、去年はエルサルバドルも洪水による災害で、家族を失った人がたくさんいるそうだ。
自分が本当にエルサルバドルに行きたくない理由を娘に語ったら、娘が言い始めた。
お母さんがなくしたのはただのお金じゃないか。災害にあった人たちは、突然家族を亡くし、家をなくし、残っている物など一つもないんだ。お母さんには家族もいるし家もある。助けてくれた友人もいる。失ったのはお金だけでうじうじしているのは贅沢だ。
そういう考えもあるんだろう。だが私は自然の力による大災害でそのお金を失ったわけではない。金に執着してうじうじしているのでもない。
災害など、まったく人間の意思も責任の及ばないところで起きたもので、大きな顔をして政府に救援を要求できる。私が失ったのは、保護を要求できる筋合いのものではない。全面的に自分の責任と自分の意志によるものだ。人の善意は身にしみた。だからといって生きていけるようになったから、にこにこして生きていけるというもんじゃない。
災害なら自責の念など起きない。私がエルサルバドルに行きたくないのは、自分の責任で家族を窮地に落としいれ、人様の助けでやっと生き延びたということに対する自責の念で、ここで何とかできるなら、できることをしてから、晴れやかな気分で家族の顔を見たいからだ。
私は今まで生きて来て、ただの1度だって贅沢などしたことがない。食べ歩いたり旅行をしたり身を飾ったりするためにお金を使ったことがない。私は1円のお金を使う事を恐れて、二科会をやめ、自転車で行く範囲しか移動せず、100円ショップしか出入りせず、趣味は、土を耕したり花を植えたり、道具を操って小道具をこしらえることだけで十分人生を楽しんでいた。お金を使ったのは家族のためだけだった。贅沢などする気もないし、自分のためなら金など欲しくない。失ったのは金だけと言うけれど、私の失ったものは、自分を律していた責任感なのだ。武家の妻なら万死に値する、そういう事を私は犯したのだ。
もし私がエルサルバドルの災害援助のために、持っていたお金をすべて使ったというなら、もちがね使い果たして家族と合流するのはどんなにうれしかっただろう。私はもともとそういう人間で、何も金に執着しているわけではないのだ。不祥事は天災ではなくて、まったく1から100まで、100%私の責任で招いたものなのだ。
それが今の私を痴呆状態にしていることを、現代人の善良な娘にはわからない。
ところが、頭がどうかしていると見えて、行き慣れた道なのに、間違えた。はて、何処に行くんだったっけ…などと考えて、やっと脳の方向感覚を整え、郵便局についたけど、ついでに記入しようと思っていた通帳を忘れた。引き落とし口座を郵貯に集め、取引銀行を一つにしてしまったので、どうなっているのか、把握したかったんだけど。
松戸市の出初式、検索によると7日だそうだ。昔住んでいた町の近く。行ってみようと思う。
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娘の話によると、去年はエルサルバドルも洪水による災害で、家族を失った人がたくさんいるそうだ。
自分が本当にエルサルバドルに行きたくない理由を娘に語ったら、娘が言い始めた。
お母さんがなくしたのはただのお金じゃないか。災害にあった人たちは、突然家族を亡くし、家をなくし、残っている物など一つもないんだ。お母さんには家族もいるし家もある。助けてくれた友人もいる。失ったのはお金だけでうじうじしているのは贅沢だ。
そういう考えもあるんだろう。だが私は自然の力による大災害でそのお金を失ったわけではない。金に執着してうじうじしているのでもない。
災害など、まったく人間の意思も責任の及ばないところで起きたもので、大きな顔をして政府に救援を要求できる。私が失ったのは、保護を要求できる筋合いのものではない。全面的に自分の責任と自分の意志によるものだ。人の善意は身にしみた。だからといって生きていけるようになったから、にこにこして生きていけるというもんじゃない。
災害なら自責の念など起きない。私がエルサルバドルに行きたくないのは、自分の責任で家族を窮地に落としいれ、人様の助けでやっと生き延びたということに対する自責の念で、ここで何とかできるなら、できることをしてから、晴れやかな気分で家族の顔を見たいからだ。
私は今まで生きて来て、ただの1度だって贅沢などしたことがない。食べ歩いたり旅行をしたり身を飾ったりするためにお金を使ったことがない。私は1円のお金を使う事を恐れて、二科会をやめ、自転車で行く範囲しか移動せず、100円ショップしか出入りせず、趣味は、土を耕したり花を植えたり、道具を操って小道具をこしらえることだけで十分人生を楽しんでいた。お金を使ったのは家族のためだけだった。贅沢などする気もないし、自分のためなら金など欲しくない。失ったのは金だけと言うけれど、私の失ったものは、自分を律していた責任感なのだ。武家の妻なら万死に値する、そういう事を私は犯したのだ。
もし私がエルサルバドルの災害援助のために、持っていたお金をすべて使ったというなら、もちがね使い果たして家族と合流するのはどんなにうれしかっただろう。私はもともとそういう人間で、何も金に執着しているわけではないのだ。不祥事は天災ではなくて、まったく1から100まで、100%私の責任で招いたものなのだ。
それが今の私を痴呆状態にしていることを、現代人の善良な娘にはわからない。
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